ナンパ学のすすめ〜大人の放課後日誌

ナンパを通したコミュニケーション研究

恋愛工学の功罪を考える〜藤沢数希氏の『僕は愛を証明しようと思う。』を読んだ

藤沢数希氏の小説『僕は愛を証明しようと思う。』を読んだ。
ナンパ小説と思われがちだが、実際に読むと、著者のロマンチズム全開である。
恋愛工学の師である永沢は主人公ワタナベに自分ではたどり着けなかった真実の愛を
託したように思えた。

僕は恋愛工学に対して肯定的な意見を持っている。
というのも、僕も大学を卒業し、彼女と別れてからの数年間はろくにセックスもできず、
仕事に追われる日々を過ごしていた。

ところが、一度取引先の女の子を飲みに誘い、当時、新宿駅近くの自宅に連れ込んで
セックスをしてから、その後はすんなりと複数の女の子を連れ込めるようになった。
これは何かの法則があるのではないかと当時は考えていたが、藤沢数希氏の小説
『僕は愛を証明しようと想う。』を読んで、ようやく腑に落ちた状態となった。

恋愛工学の功罪を考える

恋愛工学の凄まじさはそのフォロワーの数と質にあるように思う。
藤沢数希氏を所長とする多数の恋愛工学生を生み、さらに恋愛工学生の中には自らが
教師となり恋愛工学の教えを伝播する役割を担う人々まで現れた。

一流のビジネスパーソンである藤沢数希氏もまさかここまで恋愛工学が発展するとは
想像しなかったのではないだろうか。

しかし、僕が恋愛工学生を自称するアカウントを見ていると、やや違和感を感じずには
いられない。

『僕は愛を証明しようと思う。』の主人公ワタナベは弁理士事務所に勤務する20代の
青年だ。付き合っていた彼女を高級レストランや高級ホテルに誘い、高級ブランドの
バッグを貢いだにも関わらず浮気されて捨てられてしまう。
そんな彼が出会ったが恋愛工学だ。
師である永沢の指導により、ワタナベは一流の恋愛プレイヤーに成長する。

大前提として、主人公であるワタナベは弁理士として働いていることから社会人としては
少なくとも上層部に位置する。大学時代にはそれなりの恋愛をして彼女もいただろう。
社会人になり仕事が忙しくなり、恋愛から距離が出てしまったという状態だ。
恋愛工学を学び躍進した恋愛工学生の発信を見ると、大半が同じパターンだ。

皆、学歴や職歴を見るとそれなりのポジションにあるものの、仕事に熱中するあまり、
恋愛をおろそかにしてしまったタイプだ。

ところが、恋愛工学生の中には、その水準に達していない人々も散見する。
言い方は悪いが、社会的にはいわゆる下流に位置する人々だ。
底辺サラリーマン、派遣社員、フリーター、低学歴の学生などなど。
彼らは恋愛工学を人生一発逆転ができるツールと思い込んでいる節がある。

藤沢数希氏の発信はかなりの毒があり、それを飲み込める人はそれなりのポジションに
いる人たちだ。ところが、成功した恋愛工学生が下流層に恋愛工学を伝播するものだから、
本来、恋愛工学を学ぶ意味がない層まで取り込んでしまっているように思える。

僕は恋愛工学生でもなんでもないが、小説『僕は愛を証明しようと思う。』を
読む限り、また藤沢数希氏の発信を読む限り(失礼ながら有料メルマガや他の著作は
読んでいません・・・)、恋愛工学は対象を選ぶように感じる。

恋愛工学の対象は学生時代に勉強やスポーツを頑張り、社会人になった後は仕事を頑張って
それなりのポジションになったけれど、忙しくて恋愛どころではなかったという層だ。
彼らが学生時代を思い出し、もう一度、恋愛にチャレンジしたいという時に恋愛工学は
最強のツールとなるだろう。
しかし、低学歴や社会に出てからもパッとしない底辺の人々にとっては、焦がれても
意味のないもののように思える。

小説『僕は愛を証明しようと思う。』にあるように、恋愛工学は真実の愛に辿り着く為の ツールに過ぎない。底辺の人々が憧れるような夢物語ではないのだ。
そういう人たちは恋愛よりも、とにかく学業や仕事を頑張った方が良いと余計なお世話
ながら考えてしまう。